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おばあちゃんにインタビューするよ!
こちらの銀篭園の紹介ページでも書かせて頂いた通り、銀篭園では少なくとも曽祖父の代から干し芋の加工を行って来ました。
昭和7年(1932)年生まれで、今年で86歳になる祖母は約70年近くに渡り農業を続けてきて、多くの作物を耕作し、干し芋の加工を続けて来ました。
昨年(2017年)、祖父が亡くなったので、銀篭園のルーツを知る唯一の人という事にもなります。
これからの農家のみらいを考える上で、温故知新の精神で歴史や伝統から学ぶ事も大切だと考え、農業のベテラン中のベテランにインタビューをしてみました。
Q1.いつから農業を始めたの?
昭和26年10月 吉日 ぎんろー家にて
Q2.作ってきた作物は?
販売をメインにやっていたのはお茶と干し芋くらいじゃないかな?
Q3.長い間農業をやってきて印象に残っている事は?
Q4.さつま芋に対する思いは?
特に戦争中は副食として大切にしたよ。自然食品で手軽に食べられるし、自分たちで作れ、何より美味しかったよ。
通称「ぺんぺん」と呼ばれる道具で蒸かした芋を切っている作業中
↓ こちらの記事で紹介している第一の畑での一枚
戦時中、甲子園球場にさつま芋が植えられたのは有名な話だし、さつま芋が多くの人の命を救い、そして食の楽しみを与えてくれたんだろうね。
Q5.農業で楽しかったことは?
頑張った分、大きくて美味しい作物が実る。古来より何千年と人類が営んできた農業には、人の持つ本来の喜びというものがあるような気がする。
Q6.農業で辛かったことは?
まだ冷たい雨の中で黙々と長いあぜ道を作るんだよ。もし水が漏れたら稲が育たないという責任も感じながら、体中、顔まで泥を飛ばしながら腰を曲げて作業をし続けたよ。
特に米は「88回もの手間がかかる」と言われている通り、手が掛かる作物だからね。この話は小さい頃よく聞かされたなぁ。
一部抜粋:http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/learn/power02.html
Q7.農業をしてきて自慢したいこと。
また、一番茶の芽の伸びが早く、お茶屋さんやお客さんに喜ばれる良い新茶を生産できたことかな。
あと、芋切干しを買ってくれた方々が、「去年美味しかったから今年も待っていたよ!」と言ってくれたこともあったね。
わざわざ電話を下さって、「美味しかったよ、また売って。」とお礼を言われたんだよ。
当時はJAを通して出荷していたけど、干し芋を購入された方から家に電話が来て、おじいちゃん・おばあちゃんがとても喜んで自慢していたのは記憶にあるね。ぎんろーが小学校の頃だったかな。自分の作った作物、商品が認められて喜んでもらえる事ほど嬉しい事はないよね !
Q8.農業人として祖父の思い出は?
おそらくトウモロコシ畑?にて一枚
Q9.今後の農業について思う事は?
Q10.銀篭園の芋(干し芋)のPRをお願いします。
まとめ
普段、のんびり暮らしている祖母ですが、農業に関しては70年近いキャリアを誇る祖母の言葉には重みがありました。
特に戦時中は、さつま芋・干し芋が果たす役割も大きかったのではないでしょうか。
また、一般消費者の方から感謝の言葉を頂けた事が、祖父母にとってかなり大きなモチベーションに繋がっていたと感じました。
接客業ではない普通のサラリーマンの場合、お客さんから直接感謝されるケースは意外と少ないと思います。
今ぎんろー達が農業をしている中で、祖父や祖母が今まで経験してきた事を、なぞっているような錯覚に陥る事があります。もちろん、当時とは機械などの道具は違うんでしょうが、亡くなった祖父はもちろん、ぎんろーが会ったことがない曽祖父やそのご先祖も畑仕事をしながらこんな光景を見ていたんだろうか、と想う時があります。
どこまで出来るか分かりませんが、祖父をはじめ、先人たちが残してくれた知恵と大地を守りながら、さらに発展させるみらいを考えて行きたいと思います。
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